春~初夏にかけてのかつおの旬「初鰹」。高知県では3月~5月頃の旬を迎え、この時期には多くの方がその味を求めます。
時はさかのぼり江戸時代。当時の江戸っ子にとって初鰹は、現代とは比べ物にならないほど高価なものでした。
本記事では、江戸時代の初鰹の価値についてみていきます。ぜひご覧ください。
※記事監修:かつおの本場、高知県中土佐町久礼、大正町市場の藁焼きタタキ専門店「山本鮮魚店」の店主山本忠宣。
江戸時代の初鰹の価値
その季節に初めてとれた野菜・果実・海鮮物などを初物(はつもの)といい、日本では古くから縁起が良いとして高い人気があります。
江戸時代の初鰹は、初物の中でも特に人気が高く重宝され、現代とは比べ物にならないくらいの高値で取引されていたようです。現代と比較して数十倍以上の価格がついていたとか。
例えば以下のことわざをみてみましょう。
『初鰹は女房を質に入れても食え』
こちらは江戸時代のことわざであり、直訳すると「妻を担保に質屋でお金を借りてでも初鰹は食べた方が良い」となります。現代では問題になりそうなことわざですが、手段を選ばずに初鰹をなんとしてでも食べたいという気概が伺えます。はたして女房を質屋に入れて稼いだお金で手が届く価格だったのでしょうか。
他にも以下の俳句も有名です。
『まな板に 小判一枚 初鰹』
こちらはシンプルに江戸時代の初鰹の価値を表現したものです。まな板に初鰹を置くと、あたかも小判が一枚置いてあるように錯覚してしまう様子。つまり、まな板の上の初鰹は小判に匹敵する価値があることを示しています。江戸時代の小判一枚というと、今でいう数万円~数十万円の価値になるのだとか。
ほかにも、初鰹の価値が高いことを示す文献はいくつか残っており、江戸時代の初鰹が貴重なものだったことが分かります。
まとめ
現代においては、かつおは大衆魚として親しまれており、初鰹でも手が届かない価格ではありません。
しかし江戸時代の初鰹は単なる食材ではなく、社会的なステータスや文化的な価値を示す重要な意味合いを持っていたのでしょう。借金をしてでも食べたいという、江戸っ子の初鰹に対する熱狂ぶりはすさまじいですね。
江戸時代の初鰹、恐るべし。